ダル・フォルノ
ロマーノは1957年、現在ワイナリーがあるイッラージ近くのカポヴィッラに生まれました。
祖父・父とも農夫のために、小さい頃から農業を手伝い農業に接しており、この頃に畑の基礎知識を学び、それ以上にいかに農業が大変か身に染みて理解したといいます。
中学校を卒業後、農業専門学校へ入り学びましたが、父の農業や他の農場を見ても将来が明るいものとは考えられず、彼からすれば同じ事を繰り返すだけの仕事で、満足感、未来というものを感じる事が出来なかったそうです。ロマーノが22歳になる頃には「人生何をしていいか判らない、自分に自信がない」といった、苦悩の時期を過ごしていました。
ロマーノは当時の農業の状況を見て、「なぜ自分のスタイル、品質向上の努力、改革、実験、リサーチなどを行わないのか?自分の生き様を表現しないのか?」と疑問をもち、それらの疑問はその後のワイン造りの基本となっていきました。
その後1970年後半に結婚をしましたが、自家製のラベルもないワインを訪問販売するような日々も過ごしていました。
そんな中、ロマーノ25歳の時、ジュセッペ・クインタレッリ氏のワインを飲み、直感します。
「これが自分の進むべき道だ」 …と。
その後クインタレッリ氏と頻繁に会うようになり、ワインに対する哲学を学んでいきました。
世間ではロマーノがクインタレッリの元で働いていたと言う人もいますが、実際は週末にワインを持って行きワイン談義をする関係でした。二人は、会って直ぐ友人関係になり、親子のような関係でした。クインタレッリ氏には娘しかいなかったので、ロマーノを息子のように思ってくれたといいます。
しかし進むべき方向が定まっても、実際それを実行に移すのには、容易ではありませんでした。彼の畑は、大量のブドウを生産させるようにつくられた畑であり、当時イッラージで良いワインが出来るとは考えられていなかったのです。友人クインタレッリもまた、そう考えていたといいます。
しかしロマーノは子供の頃から農家として畑で働いてきた経験と、クインタレッリとのワイン談義のみを頼りに、ゼロから「自分のワイン造り」を試し始めました。そこにはアグロノモはもちろん、エノロゴもいなかったのです。
最初はブドウ樹一本にできる実を、徹底的に少なくさせようと試みました。しかしブドウの数は少なくなったものの、房は大きく実は巨大になり、水で薄めたような味のブドウができてしまう始末。ゼロからの出発は大変な労力の要る仕事でしたが、「自分の求めるワインをつくる」という魅力には、彼にとって、どんな困難も障害ではありませんでした。彼の妻もまた、一緒に畑に出て働き、彼を助けたといいます。
1990年代には銀行から膨大な借金をして、古いカンティーナと畑に投資を開始。
妥協のない理想を求めるその姿は、そのカンティーナ、畑にも歴然と表れています。現在ロマーノは約12haの畑を持ち、従兄弟の名義の約12haの畑を全て面倒を見ています。
こうしてほぼ何もないところから、ワイン造りを出発をしたダル・フォルノ
ロマーノ。
今では、この飽くなき「自分の求めるワイン造り」への情熱が実を結び、彼を「神」と言わしめるほど、世界から注目されるトップワイナリーへと登り詰めたのです。
|