ムートン=ロートシルトは故フィリップ・ロートシルト男爵が独自につくり上げた場所であり、ワインである。21歳でこのシャトーを得たとき、彼が並々ならぬ野心を抱いたのは疑いないことだ。しかし、豊かで著しく深みのあるエキゾチックなスタイルのポイヤックの生産によって、彼は1855年のメドックのワインの格付けを変えさせた、たった一人になったのである。男爵は1988年1月に死去。今はその娘フィリピンヌがこのワインづくりの帝国の精神的頂点にいる。彼女は常に、パトリック・レオン率いる有能なムートン・チームの頼もしい協力を得てきた。
1973年、ムートン=ロートシルトは公式に「一級シャトー」と格付けされる。こうして、異才の男爵は、彼の挑戦的ワインのラベルの言葉を、「一級にはなれないが、二級の名には甘んじられぬ、余はムートンなり」から、「余は一級であり、かつては二級であった、ムートンは不変なり」と変えたわけである。
疑問の余地なく、私が飲んだボルドーの最もすばらしい瓶のいくつかはムートンだ。1929年、1945年、1947年、1953年、1955年、1959年、1982年、1986年、1995年はムートンでも最良の、ほれぼれするようなワインである。また平々凡々としたムートンもずいぶん飲んだ。一級シャトーの作としてはお粗末、買って飲むお客にとってはまったく腹立たしいという代物だ。1980年、1979年、1978年、1977年、1976年、1974年、1973年、1967年、1964年はしかし、一級シャトーの水準を相当下回った。1990年と1989年という2つの有名なヴィンテージでさえ、つくられたのは、ずば抜けたヴィンテージに一級シャトーに期待されるワインとしては、驚くほど厳しく、凝縮味を欠いていた。なぜこのワインが商業的に成功したか、理由はいろいろある。まず、ムートンのラベルが収集の対象であること。1945年以来、フィリップ・ロートシルト男爵は、画家に年に一枚、絵の作成を依頼し、それがラベルを飾った。ムートン=ロートシルトのラベルに登場する大家にはこと欠かなかった。ヨーロッパからミロ、ピカソ、シャガールにコクトー、アメリカ人ではウォーホル、マザーウェル、そして1982年にはジョン・ヒューストン。次に、すばらしいヴィンテージにおけるムートンのふくよかさが、ラフィット=ロートシルトの厳しい優雅さと、そして濃密で逞しく力強く、タンニンのきいたラトゥールと、かなり違ったスタイルを持つこと。三番目には、申し分なく維持されたシャトー自体が、その一流のワイン博物館とともに、メドックの(そして多分全ボルドー地域でも)最高の観光地であること。最後に男爵自身、彼が自らのワインのみならず、ボルドーのすべてのワインを普及させるために尽力したということがある。彼の娘フィリピンヌも、父の遺産を十二分に存続させる力がありそうだ。
講談社 『BORDEAUX ボルドー 第3版』